猫の扁平上皮癌記録

11歳で扁平上皮がんになった猫の事を書いています(アイコンは別の猫)。

猫を見送って思う事

闘病中、ウっと涙がこみ上げてきて、

ウワーと泣いてしまうことは数回あったのですが、

猫を見送ってからはあまり泣く事は無くなりました。

というのも、夫ときちんと自分たちで選んだ方法で、

最後までやり切った、という思いがあるので、

後悔の念の類というのがほぼ無いのです。

 

あと、「夫と」と書きましたが、

私と、というよりも「夫が」本当に献身的にお世話をしてくれたと思っています。

おかげで私は子供の方のケアに力を注ぐことができたし、

手分けしてやることがよくできたと思います。

夫婦のバランスとしてよくできたのではという点でも、

特に思い残すことがありません。

 

夫は昔、実家で夫のおばあさんが介護状態で、

お義母さんが主となってなかなか重い介護を担っていた時期があり、

その頃にあまり力になれなかった、という後悔の念もあったそうで、

今回の猫の件で、少しその悔恨の念が晴れたとも言っています。

 

また猫に対しては、十分かわいがったし、

(家にいるときはほとんど私にくっついていたねー)

周りの人にもたくさん愛してもらったので、

そんな点でも後悔はなく。

 

同居猫もよく耐えたと思っています。

闘病の中期、痛みがつらくて鳴く夜があり、

夫と交代で夜に起き、猫を慰めていたのですが、

(息子も後鼻漏で起きてしまう時期だったので、きつかった)

その時に同居猫も一緒に起きてきて、傍らに座っては、

うつらうつらとしており、

見ていて涙が出てきてしまいました。

彼女も彼を見送ったあとは、こんこんとお気に入りのかごの中で眠り続け、

しばらく疲れていたようでした。

今は彼を探すような様子もなく、

平穏に暮らしているように見えますが、

我慢強い性格なので、

こまめな検診が必要かなと話しています。

ひとまず年明けに検診は受けるので、

来年は2,3年ぶりの猫ドッグを受診する予定です。

 

オリエンタルショートヘア、

珍種だったらしいですが、クセの強い猫でした。

よく鳴くし運動量も多く、

飼い始めは朝から晩まで遊んでいました。

途中から同居猫が一匹増えましたが、

嫉妬の塊で、

やきもちを焼いては蹴りをくらわすので、

本当に厄介な猫だなーと夫とよく愚痴っていました。

だけどうちは私も夫も息子もクセ者だし、

そんなクセ者家族にぴったりの猫でした。

たぶん穏やかな猫を求める人には、

かなりしんどい類の猫だったんじゃないかなと思います。

だけどそんなめんどくさいところが私は大好きでした。

(スコッチでいえばラフロイグみたいな、万人ウケしないところ。)

 

大昔、私はうるさい犬も飼っていたのですが、

かましい同士で空の上であれこれ言ってたら(本当にうるさそう)、

面白いなーと思っています。

 

おわり。

猫の癌、家庭への影響(子供とペット)

以前の記事で、子供とペットで独立した記事を書くと書きましたが、家庭への影響、という内容でまとめることにしました。

 

 

猫の癌発覚から一か月ほど経ち、子供に摂食障害のようなものが出ました。

 

夫婦交代で猫を見守らなければならない状況となったり、

どんなに掃除をしても、室内が猫の膿の臭いが漂ってきてしまうような環境で、

ストレスも相当なものだったと思います。

 

夏休みなったら家族で行こうと行っていた外出の予定もキャンセルとなり、

その埋め合わせをするために別の予定を立てたりしても、

帰宅をすれば現実に戻ってしまうので、

息子としては相当苦しい日々だったと思います。

 

なので、私達は猫の看病をする一方で、

息子の精神状態にも気を配る必要があり、

この2か月は綱渡り状態だったと思います。

 

前の記事に書いているように、

猫の死去の際に息子の予定をキャンセルせずに実行したのは、

これ以上悲しい思いをさせるわけにはいかなかった為です。

 

ペットの介護と育児を並行して行うと、

このようになるのだな、

と実感したのでした。

 

なお、現在火葬から数週間経ちましたが、摂食障害からは立ち直りました。ペットロスのようなものもあまりないので、その点では良かったです。

そして、それなりに過酷だった介護の状況を目の当たりにして、動物と暮らすという事はこういう事なのだと、記憶の中に深く刻まれてくれる事を願っています。

⑩火葬

地元で長年ペット葬儀を営まれてる業者さんにお願いしたので、

不安なこともなく安心して火葬を執り行うことができた。

 

私の住んでいるところから車で30分ほどのところに、

人の火葬場に隣接したペット火葬場があり、

きちんと火葬してもらうことができた。

骨壺に丁寧に納めてもらい、

悲しくて涙は出てくるものの、

私と夫で最後まできちんと看病することができたという事と、

火葬場で丁寧に扱ってもらえたという事で、

気持ちは一区切りつくような感じがした。

 

病気の発覚が6月末で、そこからみるみる病状は悪化していき、そして8月の末に亡くなってしまったわけですが、猫の生前に想像していた、「猫が死んでしまった時」の感情とはそれなりに違うものだなと感じた。

生前は漠然と「死」という、現に今生きている私達とは違う次元の得体の知れない恐ろしいもの、という、なるべく考えたくないものだったのだけど、介護を通して、一歩一歩、別れへと踏み出していく感触を実感していくうちに、猫の死というものが受け入れられるような自分になっていった感触があった。

そんな事を、夏の終わりの澄んだ青空をぼんやりと見上げながら考えた昼下がりの火葬後となった。

 

(※なおペット火葬は¥40000。)

 

猫の扁平上皮癌の記録についてはここで終わりですが、闘病と家庭への影響についても書きます。

 

→猫のがんと家庭への影響

 

⑨火葬までの動き

猫が死んだ場合の状況も、いくつか夫とシュミレーションをしていた。

 

息を引き取る→長時間保冷可能なクーラーバッグにペットシートを敷き詰め、

長時間保冷の保冷剤を入れる→寝室に安置し、室温はエアコンで18度にする。

→なるべく人間と同じように火葬を依頼したいため、タウンページで見つけて、

電話で詳細を確認しておいた、地元のペット火葬に電話をする。

 

夫か私、どちらかが看取った場合にこの流れで行うと話していた。

そしてその瞬間が訪れたのだが、

この時、私は息子の予定を2件抱えていた。

そして、猫が亡くなったときに息子の予定が入っていた場合には、

一度そのことは触れずにおき、

息子の予定はそのまま行う、

という風にも話していた。

(この件に関してはまた子供とペット、として独立した記事を書きます)

 

なので、何かあったらすぐに連絡をちょうだいと話し、

手続きを夫にお願いし、

私は息子を連れて外出した。

 

そして帰宅後に夫に火葬の詳細を聞き、メモを取った。

幸い、翌日の火葬が可能とのことで、

送迎に来てもらうこととなった。

 

そして日が明けて息子に猫が亡くなった事を伝え、

今日に火葬だけれども、

火葬に行きたいかそれとも幼稚園に行きたいかという事を聞いた。

息子は幼稚園に行きたい、との事だったので、

普段どおり登園させ、

私たちだけで火葬へと向かった。

 

→⑩つづく

 

 

⑧お別れ

一時的な回復から一週間程度が経ち、

再びぱったりと食べなくなった。

自ら動くことも少なくなり、見るからに痩せてしまった。

元気な時は太っているほうだったけれど、

痩せて顔周りの肉もほとんどなくなってしまい、

頭蓋骨が感じられるほどまでになってしまった。

 

動けなくなり、筋力も落ちてしまったため、

椅子にも上れなくなってしまった。

たまに上がりたそうにしている時は、抱えて上に上げた。

 

猫は死ぬときに人目につかないところで死にたがる、

とはいうけれども、うちのこの猫の場合は違って、

目立ちにくいけれど、人のそばには居れる所(テーブルの下の隅など)

にいることが増えた。

動けなくなってきているのに、

夜に人間たちが就寝準備をし始めると、

ゆっくりゆっくりと布団の近くに行き、

そばで寝る、というのはお別れの日の直前までやっていた。

 

そしてお別れの日。

ほとんど動けなくなっていたけど、

その直前ぐらいまではなんとかおトイレにも自分で行けていた。

ただその日はとうとう座ったまま粗相を大量にした。

今までそのような事がなかったため、

これはいよいよお別れなのかな、

という思いがよぎりつつ、

ペットシートを用意せねば、と

夫に猫の番を頼み、ペット用品店へと急いだ。

そして帰宅すると、夫が猫の頭を高くした状態で横たえており、

「もうだめなのかもしれない」

と言った。大きな声で鳴いたあと、苦しそうに息をし、

意識が無くなったという。

息もしていないようだし、鼓動も聞こえないようだと。

当然このような場合の確認方法の心得は無い私たちなので、

かかりつけ医に電話をしてみるかと私が言うが早いか夫は電話をかけ、

目に携帯のライトなどを当てて確認をしている。

そして電話を終えると、

「やはりだめみたい」

との事だった。

 

→⑨へつづく

⑦思わぬ事で一時的に回復・点滴・膿のケア

2週間の絶食状態で、毛艶も悪くなり、

目ヤニや涙もたくさん出るようになったので、

夫が獣医さんに連れて行ってくれた。

その際に、点眼薬の処方と同時に点滴も打ってもらったのが功を奏したのか、

その日から一時的に少し元気になる。

(点眼薬は保険適用で¥2000程度。点滴は¥6000程度。)

ちなみに点滴は水分を摂れない時の代替手段なので、

家で打ちたい、という場合にはそのような選択も可能らしい。

我が家の場合は、金銭的な負担の心配と、

既に投薬の際の猫も私たちの負担も大きかったので、

自宅で点滴の選択はしなかった。

 

点滴により絶食状態で意識も朦朧としていたのが、

名前を呼ぶと尻尾でお返事(元気な時はそのような反応だった)するようになった。

なんと急にちゅ~るのスープも水も飲むようになった。

 

ただこれも一時的なものであろうとあまり楽観視はできず、

そうはいっても、コミュニケーションが少しでもとれるというのが嬉しく、

できる限りいつものように話しかけ、

時に抱えてベランダまで連れていき、外の様子を見せてあげたりした。

(尻尾を振って喜んでいるようだった)

 

元気は少し回復しているが、

口の腫瘍から膿は出続けている為、

口の周りや胸元は、膿でいつも汚れていた。

汚れているときに、特に辛そうに見えたので、

(もともときれい好きな猫だったのも関係があるかもしれない)

私の息子が乳児期に使っていたガーゼハンカチをまだ少し保管してあったため、

それを濡らしてレンジで温めたもので、

口や胸元を拭いてあげると、

一時的にすっきりした表情に戻るように見えた。

朝にはそのように拭いてあげ、

日中はウェットシートでこまめに拭いてあげていた。

また、膿混じりのよだれで床がとても汚れるため、

常にティッシュで拭き、

ウェットのクイックルワイパーで掃除をしていた。

それでも膿の臭いというのは強烈で、

夜、拭き掃除をした後に、

換気をしたりファブリーズをまいたり、という事が、

欠かせなかった。

 

→⑧へつづく

⑥ほぼ絶食状態が2週間ほど続く

徐々にちゅ~るのスープも飲めなくなり、とうとうお皿を差し出しても口をつけなくなった。同時に水を差しだしても飲まない。

ただ、飲みたいという気持ちはあるらしく、

水場でじっと水を見つめていることが増えた。

夫が器を変えてみたり(普段はホーローの器なのだが、ステンレスボウルに変えたり、人間用のガラスコップにしたり。)、氷を浮かべてみたり、

様々な工夫を凝らしてくれたのだが、

少しだけ飲んで、ほぼ、飲まなくなった。

 

私たちが起きている日中に何も口にしない日が2週間ほど続いたため、

いよいよお迎えが近いのかな?

と覚悟していたけれど・・・ある日の晩、

夫がたまたま夜に目を覚ましたときに、

猫が水を飲んでいるのを見かけたという事を聞いた。

おそらくこの絶食と思われていた2週間、

夜、寝る前にお風呂場に置いておいた飲み水から、

(※以前は洗面所に置いていたのだが、高いところに上りづらくなり、

また、水が飲めないストレスから、お椀をひっくり返すようになっていた。)

ちょっとずつ水分は取れていたのかもしれない、

という事になった。

 

猫が水を3日ほど飲んでいなかったら、

それはもう生きられない、というような事を聞いたことがあり、

2週間も何も口にしないで生きていることを不思議に思っていたので、

夜に水を飲めているのかもしれない、という朗報に、

少し安堵。

 

→⑦へ続く